MACROSS Wiki
Advertisement

機体解説[]

 第二次世界大戦後期に投入されたナチスドイツ陸軍の重戦車で日本ではⅣ号戦車ティーガーⅡと訳される事が多い。Sd.Kfz.182が形式番号であり、ノルマンディ―戦線にてアメリカでは”キングタイガー”イギリスでは”ロイヤルタイガー”と呼ばれこの綽名が逆輸入されドイツではケーニッヒス・ティーガー(ドイツ語ではベンガルトラと訳された)。なおソ連軍はパンダー戦車の発展系と思われ前線では”新型豹型戦車”と呼ばれた。

(余談だがソ連軍の戦車JS-2 スターリン戦車が”アニマルキラー”と呼ばれたのもドイツの戦車が動物のネーミングを使用していたから)

ティーガーⅠとの違い[]

この戦車のベースになったティーガーⅠとは異なり更なる重武装と火力強化され、パンダー同様の傾斜装甲を採用している。車体は同時期に開発されたヤークイトティーガーの延長型が採用された。アメリカやイギリスの当時の戦車設計では太刀打ち不可能で特に西部戦線では謙虚に見られた。防衛陣地配置された時は遺憾なく発揮するも機動性が悪くヒトラーを失望させたが地形や当時の工学技術では戦車を運用するには難しい地形が多かった。

投入当時の戦況[]

ティーガーⅡとティーガーⅢはガソリンエンジンであり、大量の燃料を消費し補給線の安定に左右され特に大戦後半になるとB-17による空爆による損失が拍車をかけ、補給だけではなく生産工場を爆破される事も度々で総生産量は試作車を含めて489輌にとどまり、順調に生産されれば650輌を超していたとも言われた。これには複雑な生産工程も原因にされた。

 しかし要所での戦闘では随所に投入され”戦車楔型隊形(パンツアーカイル)”と呼ばれる陣形は楔の頂点をティーガー(重戦車)が担い、パンダー(中型戦車)がラインを形成する戦法はドイツ陸軍戦車隊の必勝陣形であったが実際はティーガー戦車の機動性に難があり、バジルでの戦闘も故障するティーガー戦車が多い。


名称訪ねてドイツ大使館に問い合わせ……[]

キングの日本語訳では”ケーニッヒス”や”ケーニヒス”に”ケーニクス”等ありドイツ語でも方言や時代によって変化があり、1970年代戦車専門誌である月刊PANZERの編集部はドイツ大使館に問い合わせて尋ねたところ”ケーニクスである”と言う回答得て以来この雑誌ではケーニクスと役されている。


名戦車乗り[]

ティーガーⅡにて150輌以上撃破したオットー・カリウス中尉(最終階級)を初めミハイル・ヴェトマン親衛隊大尉にクルト・クルニペル軍曹、エルンスト・バルクマン親衛隊曹長が有名。なおカリウス氏は戦後薬剤師の免許を取り”ティーガー・アポテケ(虎薬局)”を開業している。

1944年エストニアにてソ連兵に憎まれたドイツの戦車兵ではカリウス少尉(当時)が有名。彼は担当する作戦地域を歩き(当然銃声が聞こえる中)友軍陣営を確認、夜間には土地の状態を調べている。これが迅速の展開を可能にした。なお上官のハーゼ大佐はニオイでカリウスと分かるほど凄い匂いだったが彼が指揮した戦車隊隊員は誰もがこんな状態であった。

Advertisement